津波被災後17日目(3月28日)の写真 2011年 4月6日 作成
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3月11日の津波から17日目、3月28日に自宅に行ったときの写真です。
また、このページを作成した4月6日、我が家を施工したスモリより電話連絡があり、当面の応急的な対処をお願いできました。
復旧に向け少し前進したような気がしてとてもうれしく感じました。
現在AZは弘前に転居しましたので、その応急対応の状況を確認しずらい環境です。
スモリさんで写真撮影をしていただければ、その様子を掲載し、復興への弾みにならないかなと期待しております。

・1階の様子 ・周りの様子


1階の様子 ページトップへ
玄関を入ったところです。
ヘドロをかき出した成果で、いちおうは乾きつつある感じで、ぬかるんではいませんでした。
和室続き間の様子です。
手前が普段お婆さんがいた和室、奥が床の間です。
海水は手前の掃きだし窓のガラスを破り進入し、奥へ流れていったようで、手前の部屋のもののほとんどのものが奥の床の間にありました。
床の間です。
がれき等かなり外に出したので、さほどでもないように写っていますが、はじめは大変な状況でした。
仏壇は倒れていたのですが、起こして斜めの状態です。
押入れの中の上段にあったものは、あまり汚れているように見えませんが、部分的に泥をかぶっていていました。
使える状況ではありません。
床の間から西手の和室を見たところです。
ヘドロがまだかなり残っています。
たたみは元の位置にはありません。
1階寝室から和室を見た状態です。
青くなっているのは畳がひっくり返っているものです。

1階のミニキッチン、寝室です。
ここは何も運び出していない状況です。
ものが散乱したままです。
ミニキッチンのところです。
もう、何がなんだか、足の踏み場もありません。
ベットは浮いたようで、布団部分はぬれていませんでした。
1階のユニットトイレです。
階段から見た廊下です。
奥が寝室、右手ドアがトイレのドア、その手前が脱衣所、および風呂場です。
廊下の状態です。
ここにはヘドロが5cm以上の厚さあったと思います。
一生懸命かき出しました。
脱衣所から風呂場方向です。
ここも手付かずです。
なかなか足を踏み入れられません。
洗面台です。
たまった水は流れないようです。
キッチンの床はまだヘドロがぬかるんでいます。
キッチンは汚れきっています。
IHヒーターも汚れきっています。
やはり壊れているんでしょうね。

シンクの部分ですが、大変な状況です。
ダイニングのテーブルです。
このテーブルは浮いたようで、ごみラインが見えます。
テーブルの上のものはぬれずにすみました。
リビングの様子です。
ここはかなり片付けたので、写真上は無残な状況ではないように見えますが、はじめ見たときは唖然としました。
リビングの水の高さは床上133.5cmといったところでしょうか。
ちょうどエアコンのリモコンがすっぽろ浸水した感じです。
エアコンの室内機は被害を受けていませんが、室外機はだめでした。
廊下、階段部分の高さは136.5cmといったところでしょうか。
玄関部分は158cm位でしょうか。
我が家を建てる際、地面からかなり盛り土をしましたから、道路面からすると2m以上の高さの津波ということだったのでしょうか。

 我が家の周り ページトップへ
この日は道路上に散乱していたがれきが、ある程度除去されて、車両に関しても排除されていたので、家の前まで車で行けました。
手前の茶色のラパンが我が家で唯一無事であった長男の車です。
道路はがれきの排除がされていましたが、我が家の土地については何も排除がされていないようでした。
いったいどのようにしてこのような重量物を排除したらよいので個人の手では限界があります。
亘理町のほうでは旗を立てて意思を表示するということでした。
赤が家を含めてすべて取り壊し
黄色が家はそのままで周りを排除
青がそのまま
だったと思います。
我が家の場合は自分の意思としては黄色でお願いしたい!

 
納車6日で無残な姿となったBMW
倉庫は30cmくらいは家のほうに移動した感じです。
倉庫と家の間はがれきの山。
遺体があるのではと思うと片付けるのが怖い!
道路は障害物が排除され、車でも通れました。
上の写真は北向き、こちらの写真は南向きとなります。
山下の町並みの中にはこのように倒壊した家もありました。
このように崩れかけた家もありました。
山元町役場の避難所も少し落ち着いているように思えました。

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