東北地方太平洋沖地震・津波に被災 2011年 3月26日 作成
17日目(3月28日)のページへ

平成23年3月11日14時46分頃に三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。
家のある山元町では震度6強、3分後には大津波警報が発令されました。そして15時30頃津波が襲来したということです。
自分自身は仙台の職場で仕事をしていて、その対応に大わらわでしたが、仙台空港浸水等刻々と流れてくるニュースに規模の大きさに圧倒されました。
それでもまさか、自分の家までは津波は来ないであろうという思いでいたのですが、現実は悲惨な状況となっていました。

・庭 ・家の中 ・家の周辺 ・町の中


写真は被災した翌日12日から15日の画像です。
被害状況ですが、地震では、止めていなかった食器棚がひとつ倒れただけで、その他の被害はありませんでしたが、津波により1階が浸水し、家財のほとんどが使えない状況となりました。庭もがれきの山、車3台、バイク1台もだめとなり、我が家にとっては甚大な被害であります。
3月26日現在、施工したスモリ工業とも連絡が取れず、建物の被害は把握できていない状況です。


庭からの家の外観 ページトップへ
被災翌日の門扉前です。

仙台での夜通しの仕事にめどがつき、職場スタッフの車で途中まで送ってもらい、後はヒッチハイクで山元町にたどりつきました。そこで、二男とお婆さんが2階で無事であったことを確認し、ホッとしました。
妻の安否については、隣家からの情報で、避難所にいるということを知りましたが、実際に会えたのは2日目のことでした。長男に至っては4日目でありました。
居間を片づけていると、難を逃れたデジカメが1台あり、そのデジカメで撮影した門扉前の写真です。
小さながれきは取り除けても、3本、太い木が横たわっていて、取り除けませんでした。
門扉付近からの外観です

津波の高さがはっきりわかります。
芝生の庭はヘドロで埋まり、何処から来たかわからない、さまざまなものが散乱していました。
外観はとどめておりますが、構造的にはどの程度障害を受けたのでしょうか、素人にはわかりません。
玄関前のアプローチ

玄関前にはがれきが散乱していて正面からは入れませんでした。
脇を片付け、扉を開けられるようにし、家の中のものを正面にとりあえず置いた状態の写真です。
カーポート

カーポートには1週間前に納車されたばかりのBMWがこのような状態でありました。
遠目では大丈夫そうに見え、もしかして、という思いでキーを差し込んでみましたが、電気はつくことがなく、なにも動作しませんでした。
不思議なことに、窓とサンルーフが全て開いた状態となっていました。
水没の際の安全機構として、自動的に開くようになっているんでしょうね。
BMWを入手してわずか1週間でこの状態はあまりにも悲しい。
それにしても、よくぞまあ、こんなにも沢山のものが車の下に入り込んだものです。
カーポート全体を見るとこうなります。
車以外のがれき、タイヤ等全て、我が家のものではなく、何処からか流れてきたものばかりです。
カーポートの柱自体は立派に立っているように見えます。屋根材が無残に垂れ下がっています。
カーポートより更に奥に見えるのが物置ですが、その屋根に隣家の息子さんと、我が家の愛犬アミが、津波が押し寄せたときに避難して、難を逃れたそうです。
二つの命を救ったヒーローです。

アクロバティック

カーポートから外れたところに駐車していたフィットは、このように逆立ち状態でした。
よくぞこの形となったと感心してしまうほどであります。
ドアの物入れにあった千円札を、泥まみれではありましたが回収できました。
 
我が家の全体像です。

自慢の家、庭がこのような無惨な姿となってしまいました。
被災3日目で、道路からは水がだいぶひきました。 
車に関しては我が家にはあと2台あります。
1台は長男が使用しているもので、名取にいて無事でした。
もう1台のデミオについては、今いずこにいるのでしょうか。
バイクも

地震後、余震に備えて、息子が倉庫から外に出してくれたバイクですが、津波によりがれきの中に埋まっていました。
がれきを取り除き姿を現したバイクです。
あの美しい姿があまりにも無惨です。 
  2階ベランダから

南西方向、山の方向を見たところです。
庭には和室側のウッドデッキが流されて見えます。
ウッドデッキ自体がいかだのように浮いたようで、ウッドデッキ上のものは濡れていませんでした。
なお、このウッドデッキ手前には隣家のお婆さんが流されて、がれきの中で、仰向けに横たわっていました。
つま先部分が見えて、隣家の方と一緒に、がれきを除き、確認しました。
今なお沢山の方が行方知らずで、家族のもとに帰れないでいることを思うと、いち早く、家族の方と見つけることが出来たことに、少しでも救われます。 
  南東方向となります。

更に左側が東側、つまり、海側で、そちらより津波が押し寄せました。
この家並みだけを見ると、そんなにも破壊されたわけではないように見えますが、この区域自体は、形を残さない家、というのは少なく、形だけは残っている状態が多くなっています。
ただし、逆立ちした車、斜めとなった建物が、それまでとは違った光景であります。 
 我が家の津波に襲われた1階 ページトップへ
一階、リビングからダイニング方向の光景です。

左側が対面キッチンとなります。
居間のサイドボード、テレビ、本棚等全て無惨に泥の中に散乱していました。
居間の掃き出し窓のガラスが割れていました。
食卓は水に浮いたようで、上にあったポット、お菓子類だけは奇跡的に無事でした。
この無事であったエリアに、この写真を撮影したデジカメがありました。
本来は、この食卓手前にPCがあり、今までの全てのデジタルデータが納められたHDD、デジタル一眼等あったのですが、全てヘドロに埋まっていました。
この部屋には数々の思い出の品があり、ヘドロの中に、その形を見つけ出すたび、辛い思いとなりました。
玄関から庭方向の写真です。

このドアを開けると、目に飛び込んでくる緑の芝生、そのような日常の生活が再び訪れるのでしょうか。

 
玄関から和室側を見たところです。

和室においてあったお婆さんの家具類が流されて押し寄せています。
和室奥の掃き出し窓も破れていて、そこから始めに海水が浸入したのではないかと思います。和室奥にあったテレビがこの玄関の方まで流されていました。 
床の間の状態です。

奥の和室のさまざまなものが流されて散乱しています。
お婆さんが普段使っていて、普段からいろいろなものを置いていたのですが、それらのものが全て散乱しています。 
水の高さより上の部分は、何事もなかったかのように、そのままの状態でいます。
3年前に逝ったおじいさんの写真が、そのままの状態でいます。
神棚もそのままです。
仏壇は倒れていましたが、倒れる際、うまい具合に扉が閉まったようで、無事位牌を取り出すことができました。
しばらくこの家には住めませんが、神様、仏様、見守っていてください! 
普段お婆さんがいた和室です。
テレビやらこたつやら、普段はごちゃごちゃしていたのですが、それらのものは、ほとんど手前の和室に流され、あまりものはありませんでした。
押入れのものが見えているのと、押し入れにあった金庫が外に出ていました。
なお、その金庫のカギは探し出すことができ、中のものを、泥まみれではありましたが回収できました。 
この写真右側がお婆さんの寝室ですが、やはりものが散乱しています。
2階に関しては無事でありました。
 我が家の周辺の様子
  我が家の周辺の様子です。

隣家の方が、普段せっせと耕していた畑ですが、このような姿となってしまいました。 
  南側へ行く道路です。

写真右の家の方が、我が家に回覧板を持ってきてくれるのですが、家の中で亡くなっていた、ということです。
おそらくこの写真を撮影した時点では、お遺体があったものと思います。
いつも元気で明るいお婆さんでしたが、ご冥福をお祈りいたします。
西側へ行く道路です。

東側から西側へ波が走ったせいか、直線部分は比較的がれきが少ない状態です。
ただ、写真奥の方では右にカーブすることとなり、そこではがれきが散乱しています。
我が家の南手にある、隣家の作業スペースです。
右にオリがありますが、犬が飼われていました。
津波の時、オリの一部が壊れ、そこから逃げ出せて無事だったそうです。
元気に動き回っている姿に、ほんの少しですが癒されました。

 
近所の家には、このように庭に車が押し寄せた家がありました。
これらの車は、想像ですが、200mくらい東側に保育所駐車場があったのですが、そこの車ではないでしょうか。
  我が家の裏側です。

裏は畑とか空き地となってたので、せき止めるものがなかったせいか、がれきの量は、さほどではない感じです。
海の方から流されてきたのでしょうか、ボートがあります。
海までは2kくらいあるのですが。
 
こちらの家は、ちょうど、せき止めの形となったのか、軒下に車があり、沢山のがれきが積み重なっています。
こちらの家は基礎部分から流され、ずれていました。
がれきがないところをみると、がれきは前の家にせき止められ、水だけが押し寄せたのでしょうか。
このような場面で基礎工事の大事さを改めて思います。
この家の方は、この家に越してきてまだ1年も経ってないものと記憶しています。
南から北へ向かう入り組んだ道路です。

東から西の、波の走行方向の道路の、直線部分は比較的がれきが少なかったのですが、直交する入り組んだ、このような道路にはご覧の通りがれきが積み重なっております。
すごい! 
その道路を更に進むと、更にがれきの量が多くなります。
道路自体も狭い道路で、入り組んでいて、復旧はさぞかし大変なことと思いますし、いつになるのでしょうか。 
我が家の西手にある田んぼです。

まるで湖のようにみえますが、田んぼです

 
 
白鳥も来る田んぼですが、このようになってしまいました。 
奥に我が家が見えます。
この道路は比較的漂着物が少なく、通りやすい道路です。
 
山元町内の様子 ページトップへ
国道6号線の段差、傾斜です。
歩道が大変な状況となっています。
 
避難所となっている山元町役場の様子です。
愛知の自衛隊の車両が災害派遣で来ています。 
 このような見たことない車両もありました。
これならどんな悪路でも入ってゆけそうです。


ページトップへ





ページトップへ

inserted by FC2 system